雇われ社長を始めた、父
整備工場の社長となった父。
新聞折込で整備士や社員を募集
田舎から姉家族や弟を呼び寄せ人員を集めました。
昭和の高度成長期とちょうど重なり
新米社長でもそれなりの結果を出して
工場は忙しかったそうです。
無知が故に怖いもの知らずの父。
当たって砕けろと、猛攻撃で営業を重ね
各自動車ディーラーの、
指定工場の資格を取得していきました。
この頃、私は幼稚園か小学校低学年で
よく工場で遊んでいたのを覚えています。
しかし良いこともあれば悪いことも・・・
お抱え運転手から、社長になった父。
一応社長ということなんでしょう
一般従業員よりも高いお給料(報酬)をいただいていました。
その頃私たち家族は、
古い木造アパートに住んでいて、6畳と4畳半の二部屋。
風呂無し、汲み取り便所でしたので、
家賃も安かったと思います。
それなのに高給取りになった父。
お客様の接待やら、なんやらで、
飲み歩く日が多くなり
夫婦喧嘩も増えていきました。
そして、父は少しずつ天狗に・・・
社内では揉め事も増え始め・・・
社長の姉だからとか、弟だからとか
関係のない者からしてみれば、
些細なことでも気になるものです。
一般募集で雇われた従業員さん達と、
姉家族や弟との間で軋轢ができてしまいました。
間に挟まれる状態になった父
それまで経営の勉強などした事もなく、
大人数を取りまとめる経験なども無かった為
苦労したそうです。
苦労しているけど、そこで耐えて頑張る
というタイプではなかったみたいでして、、
父は大柄で大きな声で喋り
気に入らぬ事があると怒鳴り散らし
しまいには手が出るタイプでしたので
取りまとめる事が出来ずに
せっかく設立された工場は、
10年足らずで閉鎖してしまいました。
この時ばかりは、
少々へこんでいる父を見たのを覚えています。(昭和50年・1975年頃)
昭和50年頃の大卒初任給を調べてみました。
令和5年度の大卒初任給は20万円そこそこ
倍以上にはなっているけど、
それでいいのか?
私は、高卒で8万円くらいだったと覚えています。
年 | 大卒初任給 | 現代の価値に換算 |
昭和51年(1976) | 94,300円 | 154,389円 |
昭和50年(1975) | 89,300円 | 161,758円 |
昭和49年(1974) | 78,700円 | 165,570円 |
新たな出逢いで中古車屋をオープンした父
工場を閉鎖した為
出資していたお金持ちの方とは関係が無くなり
さてどうしたものかと考えたのでしょう?
雇われ社長時代
お客様が要らなくなった車などの処分(買取り)をしていて、
そのルートで稼ごうとブローカーを始めました。
でもお金が無い。(泣)
そこでなぜ?だか分かりませんが
他県の税理士さんと出逢い
その税理士さんが、やり手だったらしく
色んな銀行に融資を申し込み大成功!
時代背景のお陰か?
担保も何も無い父が
今の金額に換算すると、
億近い融資を受ける事が出来たそうです。
するとすぐに建売の一軒家を購入
と同時進行で500坪ほどの土地を借り
トラックの中古車屋をオープンしました。
なんででしょう?
なんか運がいいというか?
ツイてますよね?うちの父
日頃の行いが良かったとも思えないし
なんででしょう?
こういう人、いますよね?
まだ子供だった私はそんな事を知る由もなく、
ただ単純にオンボロアパートから、
一軒家に引っ越せるということで大喜びでした。
ただ、返せる保証もなく、
多額の借金をしてしまった父
必死だったんでしょうね。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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